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埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
エッセイessay
場所の力 -神楽坂建築塾サロンレポート-

(この文章は、2012年10月27日に行われた神楽坂建築塾サロンでのシンポジウム(パネリスト;平良敬一・大橋富夫・鈴木喜一・青山恭之)での議論の中で青山が提示した問題を、追ってまとめたものです。)

 

 「場所の力」とは、どのように発生するものなのだろうか。その場所が、自然の地形として際立っている場合、それだけでその場所は特別な力を持ち得る。地形といっても、地面の形の幾何学的特徴だけでなく、当然川や海などの水との関わり、岩・砂などといった素材の変化、さらに、木々などの植生による印象、湿気や風、季節や時間の変化のなかで現れる自然現象が、その場所にかけがえのない相貌を与える。
 さらに、たとえば川といっても、人間が切り開いた水路もある。石垣を積んだ崖もある。棚田のような農業土木の景観もある。道を切り開けば、空間は分節され、道が川を渡るところに橋をかければ、そこは特別な場所になる。船着き場ができ、街ができる。家は、その土地で手に入りやすい材料で作られる。
 要するに、自然の環境が持っている条件と、人間の文化的な営みが反応しあって、その場所は固有の力をもつ。風土という広がりのなかでの特別な場と言い換えてもいい。その関係が永い時間にわたって継続している場合、歴史的といっていい力が生まれる。(さらに形而上的な感情が醸造されると、地霊というような別次元の力にまで発展するのだろう。)

 そんな、自然的条件と人間の文化が密接にからみあって、強いパワーを発している例を、神楽坂建築塾で訪れた中国の安徽省の集落に見た。
 2002年3月の訪問だから、もう10年も前のことになる。この10年間の中国の変化は著しいから、今はどんな様子だろう。その時の報告を、住宅建築の2003年7・9・11月号に「中国の集落を探訪する」というシリーズで残しておけたのは幸いだ。
 その3回の連載では、宏村・関麓・芦村という三つの集落をそれぞれ取り上げた。他にも集落を訪れたが、この三つに特に際立った「場所の力」を感じた。実測も試みたが、時間的制限もあって、十分な成果にまとめられなかったのは残念だ。それでも、あの鮮烈な印象を、時間を経て考えなおしてみたい。バスで集落に近づく段階では、際立った特徴は感じられなかった。視覚的な印象としては、どこに行っても白い壁に黒い瓦。それが、集落に分け入って、歩いてみて初めて感じる、「場所の力」があったのだ。

 

 各論に入る前に、安徽省の民家に共通した特徴をおさえておこう。中国の住宅形式というと、北京などの「四合院」が有名だが、中庭(院子)を中心に東西南北に四つの平屋の建物が囲むその形式を、四方から圧縮して二階建てにしたのが、安徽省の民家のスタイルといっていいだろう。四合院の中庭は、二階上部の屋根に空いた四角い穴、「天井(ティエンチェン)」として残っている。長方形平面で、南北軸に対して強いシンメトリーを示すのも、四合院と同じ秩序感覚だ。外壁は、石や磚(セン)で、白や灰色の平滑な面を構成する。屋根は基本的に切妻屋根で、妻側の壁が屋根の勾配を超えて立ち上がり、その上に水平に瓦が敷かれたものを馬頭壁(マートーピー)という。その両端の瓦は反り上がって、独特のラインを描く。馬頭壁は、木造の小屋組みを延焼から守る防火壁なのだ。正面入り口と、小さな風穴の他に、外壁に開口部は無いに等しい。外観を見る限り、屋根は馬頭壁による水平線が強く、遠目には陸屋根の連続のようにも見える。白い四角い外壁と、黒い瓦の表情が、家の外観の基本構成だ。

 その内側には、木造の軸組が展開し、間仕切りや二階床、さらに屋根の構造を支える。中央には天井を頂いた空間が開け、光や風、雨までもがここから降りてくる。周りを閉ざし、唯一ここからシュノーケルのように息継ぎをしている。徹底して外に閉じ、内側にのみ開く中庭型住宅といえよう。その閉鎖性は、中国の歴史に密接に関係していることはいうまでもない。
 そっけない表情の外壁だが、家の門にあたる開口部には、家の豊かさによって、門型の装飾が付加される。その門からいったん中に入ると、これも家の豊かさによって、木軸部分に精緻な彫刻がなされる。薄暗い空間だけに、天井からおりてくる光が、手仕事の細やかさを際立てる。その空間の正面が、祭の場であり、家の中心を構成する。
 規模の大きな家では、馬頭壁の「段々」が高まる。屋根の勾配を超えて馬頭壁が立ち上がるのは、基本的に母屋だけ。納屋や家畜小屋などの付属屋では馬頭壁は用いられず、切り妻などの屋根形状がそのまま表れる。母屋のボディーはあくまでも四角なのに対し、付属屋や下屋といった部分は、道や水路の屈曲などに対応して変形する。建物の「格づけ」は外観に現れる。
 三つの集落の場所性の違いは、はじめは視覚的な印象にすぎなかったが、しだいに建築の基本形(家の単位)が認識できるようになってくると、それぞれの繋がり方(構成)の相違という理解へ踏み込むことができるようになってきた。

 

 まず、宏村。ここは、「背山臨水」といって、背後(北)に山を背負い、前面(南)に水を臨むという風水の理想を体現している集落だ。明初の時代から、何段階かにわたって、風水的な都市計画が行われ、集落の中心の半月形の「月沼」や、南に広がる人造池である「南沼」とその真ん中を区切った橋によるアプローチ、集落全体にいきわたる水のネットワークなど、人為的な要素が強い。でもそれは全く人工的に開発されたのではなく、その背後に、風水的に理想的な自然の配置があったからこそ、人々はこの地にこだわり続けてきた。街路を経巡りながら、じわじわと感じる「場所の力」があった。
 ここでは、家の単位が見えにくい。街路と水路のネットワークのほうが空間的にメジャーだ。それはおそらく、地形的に限定された広がりのなかでの密度の問題だったと考えられる。逆に、承志堂という大邸宅や、月沼に向いた廟など、住宅を超えたスケールの建物の存在が際立っていて、集落というより、都市を感じさせる。ここでの「場所の力」とは、風水という思想によって形成された都市が、時間の累積のなかで発光し続けているということなのかもしれない。

 

 次に、関麓についてふりかえる。ここは八大家(八系列の子孫による住宅群)の存在が際立っていた。やはり川に寄り沿っている集落なのだが、宏村で見えにくかった「家の単位」が、その八大家に限って、他の家々より抜きん出た存在感を感じさせるのだ。それは特に家の入口にあたる門や、その門前の小広場にデザインが集中していることから、まず感じることができる。うねうねと続く細い路地に面して、長方形の小広場があり、そこに反り上がった軒をあしらった門と、「福」の文字。ハレの日の儀式のための演劇性を感じた。そして門を入ると、いったん中庭を経由してから母屋が現れる。その母屋は、さらに別の親類の家に繋がっているなど、家の規模も大きくて構成も複雑だ。川の流れにそった道に、直接大きな門が面した大家もあった。集落全体の広がりの中には畑なども混在していて、密度としては粗い。また、地形には緩やかな勾配があり、道も勾配に沿った曲線を描いて、家の向きにもばらつきがある。それでも大家の正面は、特別な威圧感のようなものを発信していた。

 そして、芦村。東西に二つの川に挟まれ、集落の南で川が合流する。背後には山が高まり、風水的にも理想的な環境だ。周囲を農地に囲まれて、集落は小宇宙のように浮かんでいた。小宇宙とのアナロジーを感じたのは、周辺部から中心にいくにしたがって、空間の密度が高くなっていくからだ。周辺部では、川があったり、農という日常の営みや家畜たちの存在もあって、のどかな時間が流れていた。それが、集落の中に歩いていくと、だんだんと家々が密集するようになり、街路も狭くなっていく。中心部の街路は、東西南北の軸にのっているのだが、十字路になっていないので先が見えない。人がやっと一人通れる路地を進み、折れ曲がった先に、小さな広場が突然現れた。やや東西に長い長方形で、二階の屋根の高さに延びた窓のない壁で四方を囲まれ、正面に大門が一つだけ。ここで、凍てつくような場所の力を感じたのだ。レコード盤の中心の穴のごとく、小宇宙の中心のブラックホールのような、生を吸い取ってしまうような、負の力を。
 おそらく、ただ建築的にこの広場を構成してもこの力は生まれないだろう。周囲の自然から、農地、家々の密度の集中、狭くて暗い路地を経てきてこそ、この場所が特別になる。

 これらの集落は、長辺20キロ程度の楕円形の盆地の中に点在する。中心にある黟県の市街地から、宏村と芦村は10キロ、関麓は5キロ程しか離れていない。盆地の外側を縁取る山並みは特に際立った頂をもっていない。田園に囲まれた集落の景観を形成する家々の素材も色も単一である。だから遠くから写真を撮ると、どの集落もおなじように見える。しかし、場所の力の現れ方は三者三様だった。
 では、その違いは何によるのか。同じ文化のしみ込んだ盆地の中とはいえ、地形の微妙な違いや歴史性などによって、場所の性格の基礎となるものが少しずつでも違う。そしてその上に立ち上がった、建築の構成の違い、群れ方の違いが大きいと思う。単位となる家は規模の大小の差はあれ、基本形は同じ。それらが集まってくる密度や、向き、隣接の仕方、附属屋や塀の取りつき方、街路との関係、道幅や壁の高さの関係で生まれるスケールが、場所の空間的構成を決める。開口部の少ない石の壁の強さが、その構成のゆるぎなさを支えている。さらにそこに覆いかぶさって、人々の生活があり、時間とともに生きられて、場所の力が育っていく。
 おそらく建築は、場所の力を発揮させることに大きな役割を担っているが、環境の中で人間が生きることの全体性のなかにしか、場所は立ち現われないだろう。少なくとも、自然と文化の渚に場所の力の糸口を見いだし、その糸口に建築をつなげて新たに編み上げ、その力を次の世代につなげていくことが、建てる側の人間に求められているのだと思う。