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埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
コラムcolumn
小さな旅、箱根

 2017年12月

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 11月の下旬、ある節目に、一泊二日の「小さな旅」で箱根に行ってきました。この時期の箱根というと、大学時代の恩師織本匠先生を囲む会で、毎年芦之湯の松坂屋本店で一泊するのが恒例でした。先生が2001年に亡くなり、2002年に先生をしのぶ会が松坂屋で開かれた折に来て以来、箱根に宿泊するのは15年ぶりになると思います。

 今回は大切な方々との旅で、新宿からロマンスカーを予約しました。天気も良く、車窓に富士山を眺めながらの快適な旅が始まったところで、小田原~箱根湯本間が倒木のため運休とのアナウンスが・・・。せっかくのロマンスカーを小田原で降ろされ、とりあえず駅ビルで早めの昼食をとることになりました。その後、電車は動き出しましたが、大変な混雑で、普通列車で湯本まで。さらに湯本で登山鉄道に乗り換えて、彫刻の森駅までたどり着くことができました。

 

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 初日の主な目的が、彫刻の森美術館で「鈴木康広 始まりの庭」という企画展を見ることでした。彼は、造形大出身で現在武蔵野美術大学空間演出デザイン学科の准教授をつとめるアーティスト。NHKの日曜美術館で紹介されて、ぜひ見てみたいと思っていたところを、今回の旅の企画に取り入れたのです。上の写真は、真っ白な葉っぱに描かれた目がまばたきするように降ってくる「まばたきの葉」。その背後に、スライドショーで表現された写真をあるものに見立てて俳句のような言葉で表現する展示があり、思わず笑ってしまうように引き込まれてしまいました。その後、館内の展示を見て回りましたが、あたりまえの日常を疑うまなざしが、アートから哲学的な思索にまではみ出すようで、非常に興味深く見ることができました。

 

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 彫刻の森を後に向かった宿は富士屋ホテル。1987年以来ですので、ちょうど30年ぶり、二度目の宿泊です。前回は本館(明治24年築)の45号室に宿泊しました。その時は全く知らされていなかったのですが、そこはチャップリンが昭和7年に泊まった部屋ということで、「CHAPLIN’S ROOM」と名付けられています。今回は「花御殿(昭和11年築)」を選びました。


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 この写真は、同行の方々が泊まった262号室「桐」から西を見た夕景です。花御殿は、東西ふたつのウィングを広げたような建物ですが、こちらは東のウィング。写真では左に西のウィング、さらに先に本館、右端にレストラン棟が写っています。東ウィングは北側(正面・谷側)に向けて三室が並んでいて、この262号室は西北の角部屋になります。

 

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 こちらがその東隣、我々が泊まった261号室「つつじ」のスケッチです。三室のうちの中央なので窓は北面だけですが、両サイドの部屋に比べて奥行きがある分、エクストラベッドにも対応。木造真壁+折り上げ天井で、和の意匠が色濃く感じられます。おもしろいのは、本館45号室もそうでしたが、隣の部屋へのドアが用意されていることです。現在、本館45はドア自体を撤去して白い壁になっていますし、この261でも鍵が掛かって使用不可になっていますが、設計では、明らかに隣室との行き来を考慮していたことがわかります。かつての日本の旅籠では、隣との間は襖が当たり前だったことを考えてみれば、外国人用に設計されたこのホテルにも、そのあたりが反映されていると考えていいのでしょう。

  隣室との連続使用ということで思い出されるのは、2002年の12月25日、京都から長崎を目指した寝台特急「あかつき」で、13号車のB寝台個室ツインで車両の端に一組だけ、隣室との間を行き来できる「コネクトドア」がついている二室を予約して乗車したことです。

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 http://hodo.blue.coocan.jp/s/burutore/suisei/hensei.htm
(上の画像は、「ほどちゃんの島」のサイトから。個室1と個室2の間の壁が薄いグレーで表示されています)その時は、京都から乗車してコネクトドアを開けようとしたところがどうしても開かずに、車掌さんに連絡。大阪(新大阪だったか?)に停車した時に工事の方が二名乗り込んできて、三ノ宮までに開けるようにしていただいたという思い出があります。今時、個室はあくまでも個室という考え方が当たり前ですが、かつては、旅籠的な空間のフレキシブルな利用という「思想」が一部には残っていたという話です。

 

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 さて、昭和5年に建てられたレストラン「ザ・フジヤ」にて、めったに味わえない晩餐の後、バーにも足を運び、30年前と同様にカウンターに座りました。その時、目の前の大きな鏡の前の酒瓶の「山」が高くなっているのに気づきました。左が前回、右が今回の写真です。よく見ると、酒瓶を載せている台が、かつては3段だったのが現在は数えられないくらいの段数にまでバージョンアップしていて、富士山にように見えているのです。あと、比べてみて気づくのが、かつては国産ウィスキーではリザーブとオールド、スーパーニッカが隅のほうに置かれていますが、今は真ん中の高いところに白州・山崎・響・竹鶴などが見えていること。このあたりにも、時代を感じます。花御殿の各部屋の名が冠された43種類のカクテルが用意されていて、迷わず「つつじ」をいただきました。

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 夜が明けて、今日もいい天気。部屋の窓からパノラマを撮りました。正面は、明星ヶ岳(924m)。箱根の外輪山の一隅をなす山です。紅葉の赤の向こうに、東海道が見えます。箱根駅伝の走者は、あっという間に走り過ぎてしまうのでしょう。

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 朝食は、ホテルの敷地とは東海道をはさんだ向かいにある「菊花荘」でいただきました。明治28年に皇室のために建てられた、旧御用邸です。その庭の紅葉が、すばらしかった。今年は急に寒くなったので、色が鮮やかだと聞きました。

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 ホテルに戻って、ティー・ラウンジでコーヒーを。と、たまたま座ったテーブルに、写真のようなコメントが書かれていました。ジョン・レノンが座ったテーブルだというのです。彼が食べたというホット・アップルパイという手もありましたが、洒落っ気で「CHAPLIN’S PUDDING」という紅茶のプリンを注文しました。これも、おいしかった。

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 チェックアウト時刻ぎりぎりまでホテルを満喫した後、タクシーで箱根駅伝のコースを関所までたどりました。関所は、復元されてかつての様子が体験できるようになってからは初めてでした。ここは、さすがに外国人旅行者が多く訪れていました。

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 関所から資料館へ向かう湖畔の道から、富士山がきれいに見えていました。山に囲まれた芦ノ湖、浮かぶ赤い船、遠くに富士山、というと、個人的に大切な、以下の絵のことを紹介させてください。

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 小学校6年生の時の修学旅行で箱根に行き、帰ってきてからその印象を描いた油絵です。当時通っていた野本昌男先生の絵画教室で描いたものです。僕の生家の食堂にずっとかけてあって、現在でもアトリエ・リングの壁を飾っています。4年生の時に小涌園に泊まって以来、箱根は、僕にとって大切な場所の一つであり続けてきたのです。

 さて、箱根関所を後に、近くの「箱根ホテル」の湖の見えるレストランで遅い昼食をとりました。そして、湖畔へと足を伸ばして描いたのが、冒頭のスケッチです。やや雲が増えて、光が午後の色になってきた湖面に、たくさんのカモたちの姿がありました。帰路は、そのホテルの無料送迎バスにお世話になって、小田原駅まで。小田原からは始発の電車でいっきに浦和まで帰ってきました。

 箱根の旅のページが、またひとつ増えました。(スケッチ・写真・文;青山恭之)