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埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
コラムcolumn
浦和の家の「都市性」について(PALS楽風展2017から)

2017年11月

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 主にさいたま市・埼玉県を拠点に活動する建築家による展覧会、PALS楽風展2017「時とともに」が開催されました。2001年から、さいたま市浦和区の「楽風」で、隔年で続けてきたものです。会期は2017年10月19日~24日。アトリエ・リングでは、「越谷の家」と「大谷口の家」、さらに「浦和の家」についても展示を行いました。下の写真が、その様子です。

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 また、うらわ建築塾としても、「浦和宿たてもの30」の展示に参加しました。このコラムの先月の内容を参照下さい。


 今月のコラムでは、自邸として23年ほど住み続けてきた「浦和の家」を題材に、今回の全体テーマ「時とともに」に合わせて作成したパネルの内容を紹介します。A3を4枚でA1パネルを構成。A3の1枚が以下の本文に対応し、残りの3枚に3つの事例をまとめました。浦和の家の模型、事例1のキノコ、美術と街巡り・浦和の記録集も登場しました。

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時とともに
 ―浦和の家(自邸)の「都市性」について―
 冒頭の白黒写真は、1970年代初頭、僕が中学校に入ったころの我が家です。敷地の中央の母屋は戦前の建築です。敷地の北西の角には、大おばあちゃんが営む煙草屋さんがありました(写真では右にはみ出て写っています)。そこは、近所の方が気楽に立ち寄ってはおしゃべりしたりお茶をのんだり、赤電話が二台並んで、様々な情報が行き来する、コミュニティースポットでした。

 

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 高校時代には、東(左)隣に5階建てのマンションができ、西(右)隣には3階建ての事務所兼住宅が建設されました。煙草屋は母が担当するようになり、自動販売機も置かれ、お客さんとのコミュニケーションも変化していったようでした。

 

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 僕は建築を学び、14年間の東京暮らしの後、新しい家を設計して戻ってきました(1994年)。ビルの谷間になってしまった敷地に、さらに谷間のような「通り庭」を設けた設計です。その、半内部的な外部空間を、三世帯と一事務所の共有スペースとしました。かつての家の空間とは反転して、中心にボイドが位置付いたのです。


 この「通り庭」には、閉じられた「中庭」には無い「都市性」を込めたいと考えていました。街路の空間が入り込み、内部も街路へと滲みでていくような、その相互関係から都市的な性格が生まれるのではないか。(ここで「都市性」という言葉には、住宅を超えていく機能、あるいは、制度としての住宅を揺るがし活性化していくような内容をイメージしています。)

 

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 20年以上過ごしてきて、住まい手のライフステージの変化に合わせ、「通り庭」はうまく機能を果たしてきてくれました。その空間性にさらなる変化が起きたのは、南側の敷地に突き当りの壁のように建っていた家が無くなったことです。北側だけで街路に繋がっていた「通り庭」が、南の道路まで抜けました(上の写真。上が南で下が北です。右下が楽風)。空いた地面は、とりあえず家庭菜園として使い始めましたが、南北に貫かれたボイドを利用して、新たな展開の可能性が芽生えてきました。


 そのころに動き出したプロジェクトが、「美術と街巡り・浦和」です。美術館から街中に美術がはみ出していく試みで、我が家はその会場の一つになり、複数の作家の作品が置かれました。また、SMF(Saitama Muse Forum)でも、作品が展開されました。それらは、単なる住宅という機能を超えて、新しいコミュニケーションが交差する場所、すなわち都市的な性格をさらに付加することになりました。半世紀前の煙草屋さんが、時を経て、現在に繋がったようです。以下、アートの場となった事例を、3つ紹介します。


 事例1:楽風と我が家をアートでつなぐ
 事例2;美術と街巡り・浦和
 事例3;美術と街巡り・浦和2017

(写真・文;青山恭之)