• 設計への思い
  • バックナンバー
  • 作品集
  • わたしたちのこと
  • 事務所紹介
  • 発表した文章
  • 関連サイト等
  • お知らせ
  • お問い合わせ
埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
コラムcolumn
追悼、保坂陽一郎

 

01

 建築家の保坂陽一郎先生が、昨年末に逝去された。僕にとっては、恩師であり、修行時代の上司でもあった。武蔵野美術大学の非常勤講師に誘って下さったのも先生だった。逆に2003年、神楽坂建築塾に先生をお呼びしたのは僕だった。その後2006年からは毎年、神楽坂でお話をいただいてきた。そしてこの2月の公開講座で先生にお話しいただく予定だったところが、叶わぬことになってしまった。そこで、先生を振り返るプログラムを組んだ。第一部としては青山からのプレゼンテーションというかたちで、武蔵野美術大学を退任されるタイミングで出版された『建築の構成 保坂陽一郎作品録』をたどり、先生の建築そのものを見直してみた。この本は『・・・作品録』との題名から、作品を年代順に並べたカタログととらえられがちだが、全体を自らの建築論として構成し、そのなかに実例として自身の作品をあてはめた、建築家としての仕事の集大成であり、それを次世代につなげたいという思いに貫かれている。

 さらに第二部では、保坂陽一郎建築研究所の山本幸正代表をはじめ、先生にゆかりの深かった藤原成曉氏・佐奈芳勇氏に加わっていただき、先生の人間像にも迫った。最初の画像は、その様子。早稲田奉仕園のスコットホール・ギャラリーにて、2017年2月12日。

 ここでは、その第一部の講義録に手を加えて、紹介してみたい。(以下、太字は、『建築の構成 保坂陽一郎作品録』のなかの先生自身による言葉を章立てにそって抄録したもの。細字は青山からのコメントで、 [ ]内は、先生の設計による建築を図版から解説した。【 】内は、保坂作品以外の建築事例。)

 

 

序章

人にとって建築の役割とは何であろう。その問いを、私にとって住居の役割は何であっただろう、と言葉をかえてみると、今素直に答えることができる

 

 書き出しから、建築=住居と、住居の重要性指摘。そして、十代の数年間を暮らした甲府の屋敷が「いのちと生活をささえてくれるという直感的認識」と、自分の建築体験の原点にあるとしている。そこから、このあとの本文の構成を導く。「次の世代へ伝えられてほしい」という願いが込められている。

 

 

第一章 空間の構成

建築の構成の最も基本的テーマは、空間の構成にあると考えることができる。・・・その例はまず、住居からはじめるのが本来であると考えた。

 

1-グリッドプラン

「間」という、行為に触発された想念を対応させ、場所の支配を受ける概念に対し、「単位空間」とはさまざまな行為に対応しうる概念で、均質的素材から成立する。「南柏の家」は、単位空間の集積であって、全体を形成するものが欠如している。このような状況を克服することが、私の進むべき方向であった。民家の原型的な間取りとしての整形四つ間取りを、二層に積み重ねた立体格子。バシュラールの世界像から地下と屋根裏を拡大させた、「重層四つ間取り」へ。・・・現代の町屋の一典型となりうる。

 

 [南柏の家] [葉山の家] [雑司ヶ谷の家] [馬橋の家] 処女作であり人生の最後まで住み続けた「南柏の家」の限界を「単位空間」にあるとし、それを克服するものとして「重層四つ間取り」への方向性が示されている。下の画像中央が、「南柏の家」で83年に青山が撮影したもの。

 02

  

2-部屋の統合

部屋の統合の基本的原則は全体をまとめるための方法として、何等かのおおうもの、又は繰返されるものが必要であるということである。

 

 [甲府の家] [撥の家] 甲府の家で足りなかった、「一つのまとまり」が、撥の家でかたちをなす。

 

 

3-部屋と廊・回廊と庭

ここでは、社会における様々な人々の様々な活動を対象にした建築の構成を考えてみよう。

 

 [桐友学園] 当時の建築計画理論では、動線を短く明解な構成が求められていたが、より長いみちのりや、複数の動線が用意された。

 

 

4-外庭型と内庭型

住居の形態をその内部空間と外部空間との関係においてみると、内庭型と外庭型の二つがあると言われている。日本の場合その気候条件からも外庭型の方が主流であった。しかし、都市内部で密度があがって来るにつれて内庭型が再検討されてきている。・・・個々の住宅の居住条件を良くしながら相互のコミュニケーションを活性化する物理的条件を準備することは、一朝一夕にはいかないのである。

 

 [中目黒の家] [三軒茶屋の家] [須賀川の町屋] ここでは住宅の内部空間の構成というより、外部空間との関係から導き出される二つの原型的パターンから、具体的環境とどう向き合うかが示される。下の画像は、中目黒の家を雑誌に掲載する際の、青山による空間ダイアグラムのスケッチ。

 03

 

 

第二章 境界要素の構成

第一章で説明してきた空間の構成の方法は実際には領域を形成することにつながっていくのであるが、もしそうすると建築の具体的要素として、その境界がどうつくられているかということが問題になっていく。・・・そのような分野を構築的なものというように理解することができる。

 

1-パーティーウォール(共有壁)

出発のひとつは江戸時代の長屋の展開であり、・・・単純ではあるがこのような住居の一列連続集合のかたちはやはりひとつの原点である。そこにその土地の風土、社会的条件、時間的ファクターの導入などが考えられて、街のなかに無理なくはめこめられていけば、永く生き続けていくことができよう。ではそのためには何が必要であろうか。一つは共通の要素によるまとまりであると考えて良い。

 

 [ガーデンハウス湘南] パーティーウォールによる構成を、具体的環境のなかで変形させた好例。

 

 

2-内外空間の境界 フレーム・スクリーンの架構

歴史的にみて日本の住宅は母屋を基本形とし、その四周に庇をまわし内部空間と外部空間をむすぶ重要な領域としてこれを発展してきた歴史がある。(しかし)このような内外の中間領域の創出に関してはこれを更に積極的に展開するのではなく、むしろそのような領域そのものを減らし境界を単純化する傾向すらうかがえるようになった。改めて日本の住宅を考える時再びこのような領域の積極的な創出に心を配るべきであろう。

 

 [佐久の家] [善光寺の家] 住戸の母屋の周りにフレームを回す構成での、構造形式も含めた検討。

 

 

3-基盤・壁+木造

4-開口部・建具

5-多様な要素の結合

 

 この3・4・5については、時間の制約により、説明を割愛。ただし、5で取り上げられているサマルカンドのコンペのパネル写真を下に示す。『建築の構成 保坂陽一郎作品録』の表紙を飾る画像でもある。

 04

 

 

6-移行する領域(アプローチ・門・塀)

聖と俗という二項対比は人々の生活のすみずみまで支配していたし、その両者が同時存在することによって、生活の安定がたもたれてきた。・・・宗教建築はこのような移行の過程をそのなかで明示するために極めて重要な働きをするのであるが、そこでは異なった世界を限定する境界の構成が特に注目される。

 

 [大韓基督教会東京教会] [富士の納骨堂] 宗教建築において特に重要な異なる領域間の移行を、具体的な手法で解決した。[富士の納骨堂]では、沖縄の亀甲墓や、オシオス・ルカスとの関連を見ることができる。

 

 

第三章 場所と建築

現在とくに議論されているグローバリズムの力が今後ますます強くなっていくとき、その力によって場所の持っていた特性が次第に失われていくことに対する危機感を多くの人が持っていて、それをどう克服するかが大きなテーマとなっている。

大変困難なことであるが、現在できることの一つに基本にもどるという方法がある。それはその場所の特性の一つとして地形、気候といった地理的性質をもう一度整理してみることである。

 

 

1-敷地との対応

自然の風景のなかに一つの建築が建てられようとする時、もし周囲の環境とそこに建てられるものが対峙するという構図であるならば、建てられるもののかたちはおのずからきまるということはできまいか。

 

 [郡家ゴルフ倶楽部クラブハウス] 水平線を強調した立面に、単純な傾斜屋根がかかり、周囲の地形にまさに対峙させた例。

 

 

2-集合住宅群の構成

集合住宅が群としてあるまとまりをもつように考えたいという傾向は、もしそうでなければ均質な展開を無限に繰り返すおそれがあったところから生まれたのであろう。(全体の骨格は当初につくられている)計画都市の集合住宅群であるが、完成された構成をはじめから提出しておく方法がある。主として景観上の理由に基づくものであるが、中層住棟を中心に配置し、部分的に低層住棟をおいてその周辺にこまかい街路をつくり出し、一方高層住棟を一つ二つ計画してランドマーク的存在にするという方法である。・・・集合住宅を群としてまとめるにあたってもう一つ大切なことは領域の形成である。まとまりをもつということは、その群としての特色が生まれることであるが、そのためには中心的領域が必要である。それが閉ざされた中庭であるか、半ば開かれたオープンスペースであるかは別にして、密度の高いアイデンティティを確保できる場所でなければならない。

 

 [鶴牧の集合住宅] [蓮正寺公園通り一番街~三番街] 複数の住区での、群としてのありかたを示した。

 

 

3-地域のなかから

福島県須賀川市とのかかわり

 

 [須賀川市立長沼東小学校体育館] 長い時間をかけた多彩な取り組みのなかで、自然と建築の幸福な出会い。青山撮影。

 05

 

4-建築群の風景

扇状地の微高地に集落が形成された遺構は古代末ないし中世初頭のものが多くみられるという。現在数少なくなったそのような集落の風景に接すると、これが建築群が自然的要素と一体になってつくりあげた日本的景観であると強く感ずる。このような一つのまとまりと現代の都市との間にある埋めようもない隔たりの大きさに愕然としてしまう。・・・日本の都市の風景が大きく変わったのは・・・戦後木造による建築群のなかにRC造があらわれだしてからであろう。・・・木造建築はそれでもまだ残るであろう。それは日本の風土に基本的にねざしたものであるからである。ただこのような建築が他の建築と混在していくためには、もう一つの新しい建築のかたの創出が必要となるにちがいない。

 

 【京都府城陽市の家並み】集落の景観を、立面図という抽象化されたイメージに翻訳し、「新しい建築のかた」という問題を提示。

 

終章

設計という建築造形の一領域にたずさわって来て常に考えることは、建築が人の人生に与える喜びについてである。秩序をもっている建築が強い感動を人に与えることができる。

歴史的建造物のなかにみられる異なった素材の組み合わせ、例えば木彫をした柱と煉瓦の壁によって支えられている混構造の中国西域の廟(アバ・ホジャ廟)などはこの建築がこの場所のそれであることを雄弁に物語っている。

その時代の明瞭な建築言語を駆使して、明瞭な文法構成に従って築かれている建築、そこには時代のなかで磨きぬかれた醇化作用がある。一例をあげればオスマントルコの建築、エディルネのキュリエにみられる立方体、均等な窓、ドーム、煙突といった建築言語の厳密な構成が絶対的な沈黙を顕示しているのである。

・・・このような建築が群となって一つのかたまりをつくっていく時、そこにあるまとまりをつくることが出来れば、人はそのなかで喜びをうけとり、大切な環境としてうけついでいくであろう。

 

 【アバ・ホジャ廟】【エディルネのキュリエ】については、著書『統合へむかう街と建築』のなかで語られている。下の画像は、グーグル・アースで見たエディルネのキュリエ。サマルカンドのコンペでの、中心施設のデザインとよく似ている。

06

 

 

  さらに、同じくキュリエの、施療院の立面・断面を示す。「建築言語の厳密な構成」という保坂の言葉の示す内容を考えさせられる。(出典;『イスラムの建築文化』アンリ・スチールラン著)

09

 

 作品録にはないが、[千代田区営千鳥ヶ淵ボート場]は、彼の晩年の作品として興味深い。敷地との対応もさることながら、エディルネのキュリエにみられるような、複数要素における秩序が示されている。青山撮影。

 07

 

 最後に、去年の神楽坂建築塾での画像を載せておこう。「西から東へ」という、彼の旅を振り返るスライドが始まるところだ。僕のカメラに収まった最後の姿。言葉を交わしたのもこの日が最後となってしまった。2016年2月14日、神楽坂アユミギャラリー。(文;青山恭之)

08