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埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
コラムcolumn
描かれた「浦和」を訪ねる

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平成28年度さいたま市民大学美術コース

 

 うらわ美術館学芸員の島田さんから、「さいたま市民大学で、講演をいただけないですか」とお誘いがかかり、荷が重いなとは思いつつも、二つ返事でOKしてしまってから一年以上が経ち、12月21日(2016年)が本番でした。さいたま市民大学というのは、毎年、さいたま市・さいたま市教育委員会・さいたま市民大学運営委員会によって開催されている、市民向けの教養講座のようなものです。ただ、無料で行われている公民館などの生涯学習講座とちがうのは、「大学」という文字が入っていることと、有料で申し込み多数の場合は抽選だということ。募集案内にはこんな紹介文があります。「さいたま市では、市民の方々の高度で専門的かつ多様な学習要求にこたえるとともに、自発的な学習活動を促進し、豊かな生涯学習社会を築くことを目的として、さいたま市民大学を開設しております。学識経験者や社会教育関係者等から構成される「さいたま市民大学運営委員会」が、講座の企画及び運営について検討し、大学教授や各分野の専門家等が講師をつとめます。」
 講座の内容は、教養・ビジネス・さいたま文化・科学・文学・歴史・美術・市民企画・地域ボランティア活動・パソコンと他分野にわたります。このなかで美術のコースを「うらわ美術館」が担当し、「描かれた「浦和」を訪ねる」という4回の連続講座を企画。その最終日の後半に僕の出番が設定されました。

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 担当の島田学芸員は、僕が南公民館で「埼玉の建築スケッチ」について講座を持った時に聞きに来てくださり、また何度か打ち合わせをして、話す内容の方向性は定まっていました。それでも、僕が話す以外の日の内容も興味深く、そこに結びつけた話をしたいと思ったのと、受講者の方々の雰囲気も知りたくて、第一回から、時間の許す限り「受講」させていただきました。受講対象は、全回出席可能な方に限るとあるので、連続性が大事と考えたのです。今月のコラムはその簡単なレポートです。(最初の画像は、12月中旬に、うらわ美術館のある浦和センチュリーシティ18階の中華料理店で会合があり、その時に写した別所沼です。多くの画家がここでスケッチブックを広げました。ちょうど、メタセコイアが赤く色づいていて、富士山からFMアンテナまでのヴィスタがきれいに見えていました。)

 

第一回、11月30日 鹿島台

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 講座は3時間と長時間にわたり、ちょうど大学の授業の2コマ分です。前半が美術館の視聴覚室で講義。毎回、主に浦和を描いた2点の美術品を中心に、学芸員の島田さんがアカデミックに語ります。後半は街に出て、ボランティアスタッフも加わって、描かれた「浦和」を実際に尋ね歩くというプログラムです。島田さんがこの形式のプログラムを思いついたのは、フランスの街角で、ある画家はここをこう描いたという写真が、その場所に掲示されているのを見たことがきっかけだったそうです。作品と実際の場所を両方体験することが、理解を深めることにつながるというのです。

 今日はこの2点。左が、跡見泰の「初春静日」、右が奥瀬英三の「室内」です。ともに鹿島台の実際の場所を描いています。浦和の画家を語る上で欠かせないのが鹿島台というところで、ここに、昭和初期に多くの画家が移り住み、「アトリエ村」的な状態だったと、当時の新聞記事なども引きながら解説されました。鹿島台は、大正から昭和にかけて大規模に開発された住宅地で、関東大震災で被災した人々の受け皿になったところですが、現在の地名には残っておらず、浦和に住んでいても知らない方が多いのは残念です。
 跡見泰の「初春静日」については、かつて、僕が自分のブログのなかで、描いた場所の詮索をしています(「初秋静日」から考える)。奥瀬英三については、鹿島台にほとんど唯一現存するアトリエ付き住宅として、注目してきました。
 実際に歩いてみて、30数名はやはりかなりの大人数で、歩道を歩いて自転車でも来れば一列にならざるを得ず、住宅街でマイクも使えないので、先頭にいる島田さんの声が届いてこないのは残念でした。それでも、要所々々で駐車場などをお借りして、解説を聞くことができました。

 

 

第二回、12月7日 旧埼玉会館と別所沼

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 第二回目の2点。左が、高田誠の「桐の咲ける風景」、右が小松崎邦雄の「沼のある夕景」です。高田の絵は、県庁のある丘(鹿島台)から、谷を隔てて、旧埼玉会館と西洋館、鳳翔閣、玉蔵院を描いたものです。そして、小松崎のほうは別所沼を遠望しているのですが、手前に牛が描かれているのは、別所沼の北にあった村岡牧場でしょう。北から南を描いていることになります。
 この日は参加できなかったのですが、別所沼湖畔にある太田額縁は、参加者の注目を集めたそうです。閉会間近のトリエンナーレや、ヒアシンスハウスについても、言及されたことと思います。

 

第三回、12月14日 坂道と白幡沼
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 この日の2点は、左の渡邉武夫による「丘の道」と、右の内藤五琅による日本画「雪蘆」です。まず渡邉の絵ですが、白幡沼の近くということは、高台にある浦和商業高校あたりから見たものではないかと想像はつくのですが、決め手は、左に見える崖と、中央やや下に描かれた橋のようなもので、水路が左右に通っているように見えるあたり。その水路とは、常盤公園から湧き出し、県庁手前の谷を形成して岸町小の下を通って白幡沼に至るもの。崖は浦和商業高校の敷地で、すなわち高校の正門前から西を見たアングルということになります。内藤の日本画は、僕もよく通った白幡沼の蘆の根本をカモがすーっと横切った瞬間だそうです。内藤は野鳥の会に入っておられるとのことで、精緻な鳥の描写も頷けます。
 今回の散歩は、長い列になって話が聞こえないことがないように、あらかじめスタッフが歩いた写真をもとにした前提講義があったので、かなり長い道のりもスムーズに進むことができました。車椅子で参加した僕は、バリアフルな調神社の手前でドロップアウトしましたが・・・。

 

第四回、12月21日 武蔵野

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 最終日の2点は、左の増田三男による工芸作品「金彩黒銅雑木林月夜 箱」と、右の川村親光による「堤下早春」です。この日のテーマは武蔵野で、こればかりは歩いて回るというわけにはいかず、実際の場所に立つということを超えて、武蔵野のイメージを探っていこうという内容です。街歩きの時間をいただいて、僕が話をするということなのです。
 ただ、この川村の絵は、場所が特定できているとのこと。右奥の土手が荒川の土手のように見えるので、さいたま市桜区の千貫樋あたりかと思ったところ、荒川土手は正解だけれど、吹上駅そばの榎戸堰(えのきどせき)の足元から、西方向の荒川土手を見ている絵なのだそうです。
 次に、僕の高校時代の工芸の先生だった(選択はしていませんでした)人間国宝増田三男の箱には、雑木林のイメージがあります。それを求めて、学芸員たちが訪ねたのは、北本の自然公園でした。そこで出会った雑木林は、低木が生え、下草も茂って暗く、増田の作品にあるような月光が地面に降り注ぐというものとは別物でした。やはり、武蔵野における雑木林というのは、人の手が入って手入れの行き届いた里山のイメージなのです。

 さて、そんな話を受けて、僕は武蔵野のイメージから話を起こしていきました。ただ、その内容については、ここに書くには長くなりすぎてしまうし、このコラムで既に紹介した内容も含まれるので、別の機会にその一部を紹介したいと思います。(画像は、クリックで拡大されます。写真・文;青山恭之)