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埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
コラムcolumn
SMF学校、大宮氷川神社

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 さいたまトリエンナーレのプロジェクトとして、SMFが担当する「SMF学校」が、9月24日に開校式を迎え、その次の25日に、第一回目の授業が始まりました。テーマは「生活都市さいたまの魅力」という内容で、僕と、三浦清史さん、渡辺範久さんという三人の建築・都市計画の専門家が、トリエンナーレの舞台であるこの地域について、語り合いました。下の画像は、当日の黒板を模した、アナウンス・ボードです。

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 さて、三人のトップを任された僕は、SMF学校の会場となっている「市民会館大宮」が、氷川参道に隣接しているので、そこを起点にプチ・街歩きを行いました。氷川参道の東に広がる、碁盤目状に都市計画された住宅地。そこに突然屈曲した道があるのはなぜ?。さらにこんもりした緑の「富士塚」。下の写真は、富士塚に登っていく参加者たちです。テレビ埼玉の取材が入っていました。富士塚の上からは、かつては富士山が見えたことを想像します。富士山が、氷川神社の配置に大きく関わっているのです。

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 氷川参道の構成を確認してSMF学校に戻り、スライドでの授業を開始。まず示したスライドが、トップの画像です。富士山と筑波山とを結んだ直線上に、浅間山に夏至の日が落ちる地点を求めて、氷川神社の位置が決定されたという言い伝えを、グーグルアースの上で実証してみたものです。関東平野という漠たる広がりのなかで、富士・筑波・浅間という三つの霊峰の位置関係から、特別なパワースポットを見出そうという、壮大な計画です。さらに、浅間山から氷川神社(男神)への直線を延長し、見沼田んぼを超えたところに氷川女体神社(女神)を建て、男と女の中間に中山神社を配置したというのです。それが下の画像です。きれいに一直線に並んでいるのが解ります。相互間の距離を測ってみますと、氷川神社から中山神社が3.6キロ、中山神社から氷川女体神社までが3.1キロで、これはおよその中間地点と称していいでしょう。この三社の幾何学によって、蛇行する見沼田圃に潜む龍神を鎮めるという古代のイメージなのです。

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 次は、夏至の日没方向が浅間山というのを、確認してみましょう。こういう時は、山岳展望ソフト「カシミール」の出番です。

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 これは、氷川女体神社から、夏至の日没を表示させたものです。太陽は、浅間山よりやや南、浅間山に向かって落ちていくという感じでしょうか。中山神社と浅間山は、ほとんど重なっているのがわかります。(この倍率では三社はほぼ重なってしまっていて、中山神社だけが表示されているようです)

 

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 これは逆に、浅間山の頂上からの、冬至の日の出です。ここでは、太陽の見かけの直径の範囲内で、氷川女体社の位置から日が昇ってきているといえるでしょう。それぞれの神社に巨大な幟を建てたら、浅間山の頂上から冬至の日の出の日輪の中に、三本の幟が見えるかもしれません。壮大な実験をしたくなります。

 先に、地理的に重要な二つの直線の交点に、氷川神社を定めたと書きましたが、グーグルアースで二本の直線の交点は、鉄道博物館あたりになり、1.2キロほどのずれがあります。それでも現在の位置に社を定めた大きな要因は、どうも湧き水にあるようです。それは、この6月、氷川神社権禰宜の遠藤さんに、最近公開をするようになった「蛇の池」を案内いただいたときに出た話です。案内板にはこう書かれていました。「古来、蛇は水神の化身とされご祭神の須佐之男命はその大蛇(八岐大蛇)を退治した伝承に因り水を治める神とされる。ご祭神の神威神徳に由来し、この池は蛇の池と呼ばれている。蛇の池は境内の神池やその先に広がる見沼の水源の一つで現在でも地中深くより水が湧き出ている。この神秘的な湧水があった為に、この地に当社が鎮座したとも伝えられ氷川神社発症の地と云われる。」下の写真で、奥に見える暗がりが「蛇の池」です。神域の囲いの西側に隣接してあります。池にお賽銭の箱が備えられているのは初めて見ました。

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 このような氷川神社の古代のイメージを紹介した後、近世のイメージにも触れました。大宮宿は、もともと氷川参道が中山道のルートだったものを、江戸初期に現在の位置に都市計画によって移設されたという経緯があり、それを自然発生的な浦和宿と対比させるかたちで、さいたま市を考えるひとつの断面を示したつもりです。
 僕の話の後には、三浦清史さんが、街路と建築の間に仮設のアーケードのような構築物を設け、都市と建築を有機的につなぐ試みについて話をされました。次に渡辺範久さんが都市計画の立場から氷川参道と大宮の街などを読み解き、都市計画の隙間にたくましく街が生きている様が紹介されました。最後には、三人+会場の方々との議論も展開されて、有意義なSMF学校になったのではと思っています。(画像は、クリックで拡大されます。写真・文;青山恭之)