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埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
コラムcolumn
大口、曾木発電所遺構など

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 9月のはじめ、鹿児島で法事があり、7月に続けて短い旅をしてきました。今回も往復飛行機。途中で寄り道をするわけにもいかず、鹿児島空港に車で迎えに来ていただいた親戚の方に無理を言って、大口まで連れて行っていただきました。司馬遼太郎が、「街道をゆく、肥薩のみち」で、八代から久七峠を越えて大口に下る薩摩入りルートをとっていたので、大口は前々から気になっていたところでした。かつての薩摩大口駅には、山野線と宮之城線が乗り入れていて、西鹿児島からの直通運転もあったのですが、今や数少ないバスの便があるのみ。久七峠は平成16年にトンネルが開通して旧道となり、当然、久七峠などを通るバスなどあろうはずもなく、旅行に組み込むのが困難であきらめ続けてきたのです。大口市は、平成20年の菱刈町との合併で伊佐市となり、薩摩の北の玄関口のひとつというイメージが薄れてしまいました。大口とは、おおらかに広がった入口という意味。最近、上のスケッチの「曾木発電所遺構」について知ることになり、夏の時期だけダム湖から姿を現すというので、公共交通機関での行き方を検討していたのですが困難を極め、今回の旅で親戚の車での訪問をお願いした訳です。

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 そんな経緯で、久七峠越えも市内をゆっくり見る時間も無かったのですが、まず訪れたのが「曾木の滝」です。ここは、司馬さんも「街道をゆく」の中でとりあげています。「東洋のナイアガラ」とも称されるごとく、川幅の広い瀑布でした。たおやかに広がる北薩摩の大地のなかに、急な高低差が出現していて、迫力満点。

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 その、高低差を発電に利用したのが、「曾木発電所」です。滝のそばの案内所に説明版がありました。ここで初めて野口遵(したがう)という明治の巨人について、知ることができました。彼は、現在取り組んでいる秩父のプロジェクトでお付き合いしている旭化成や、秩父の山奥の日窒ともつながって、不思議な縁を感じました。

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 滝からやや下流に、今回のお目当て「曾木第二発電所」があり、その遺構が初めのスケッチで示したものです。川内川をはさんだ高台に展望所がつくられていて、そこから眺めることができます。登録有形文化財、近代化産業遺産。一年の半分以上水没しているというのが信じられないくらい、美しいレンガの建築でした。昭和40年にさらに下流に鶴田ダムができて水没し、歴史の中からも消えそうになっていたものを、保存活動が起こって、レンガの補修などの工事が行われて美しさが蘇ったのです。遠くからでも、細部がきっちり造形されているのがわかります。背後に、落差を利用して水を落としてくる導管の土台などが見えています。(二階建て部分のアーチ型の開口部が、上下で互い違いになっているのはなぜだろう?)説明の看板の写真をのせておきます。

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 大口の街は、車で通り過ぎただけでしたが、周囲の田園風景が美しかった。この辺りは、「伊佐米(いさまい)」というブランド米の産地です。寒暖の差の激しい伊佐盆地で育った良質の米は、米麹として焼酎造りにも欠かせないものです。「伊佐錦」という焼酎が思い浮かびますね。上の写真は、車の窓から撮ったものですが、「多面的機能支払交付金・水土里サークル活動」という看板が写っています。調べてみると、農業・農村が持っている国土保全、水源かん養、景観形成などの多面的な役割を補助しようという制度のようです。そのような仕組みにも支えられて、この田園が守られている事を知りました。また、道中、県道53号線から「幸田の棚田」への道標が目に入りました。日本の棚田百選に選ばれているそうです。帳面は増える方向にあるようです。

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 その日の夜は、鹿児島中央駅の近くで会食。その後、少し酔った勢いで、駅に隣接した商業施設「アミュプラザ」の屋上に建つ観覧車に乗るという流れになりました。屋上が高さ30m、観覧車の直径が60mあるので、最高高さは90mに達するというものです。それも、シートまで透明のアクリルで作られた「シースルーゴンドラ」に乗る羽目に。2004年の9月にできた施設なので、12年間も乗らずにいたのですが、出たとこの勢いでしょうか。夜のせいか、高度感が希薄に感じられました。それに、本来正面に見えるはずの桜島が見えないというのは・・・。やはり明るい時間帯に一度、再訪したいと思いました。

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 次の日の昼、法事で訪れた、鹿児島港「ドルフィン・ポート」二階の食事処の窓からの眺めです。よく晴れて、桜島がすがすがしく見えていました。噴火のほうはここのところ鎮まっているそうです。昨年10月のこのコラムで、その時の法事の後に描いた桜島のスケッチを載せました。そのスケッチを気に入ってくださった親戚の方が、桜島を描く絵画展にそのスケッチを応募していただいたのですが、見事に選外に。小さなスケッチでは、大きなタブローには勝てないのでしょう。この「ドルフィン・ポート」は、あと数年で、また別の施設になる予定と聞きました。

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 最後の日の朝、スケッチした「鹿児島の家」N邸です。1986年に初めて設計して実現した住宅なので、もう30年ということになります。当時はこの北面には店舗を併用した住宅があって、人目にさらされない面だったのですが、ここのところは駐車場になって、通りからよく見えます。ところが今度は南側が新しく建て替えの工事が始まっており、その奥も一軒、3階建ての工事が進んでいて、ちょっとした建設ラッシュです。

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 その日の夕方の飛行機で鹿児島空港を離陸。高度を上げていく時、左側の座席の窓から見えた桜島です。南北に長い山容なので、北からはとがって見えるのですが、頂上は雲の中でした。

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 機は大きく右(東)へと向きを変えて、霧島の手前で東北東へ向きをとります。その時に、この7月に旅をした霧島温泉あたりが見えてきました。中央に白っぽく見えるのが、槇文彦設計の「霧島国際音楽ホール(みやまコンセール)」で、宿泊した「旅行人山荘」は、やや雲に隠れて確認はできませんでした。グーグルアースの画像も載せておきます。

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 7月の帰路も同じような時間帯でしたが、太陽の沈む位置が、ずいぶん西に(左の窓からは後ろに)ずれてきたのがわかりました。季節の移ろいを感じながら、刻一刻と光を変える日没に何度もシャッターを切った内の一枚です。この日は、関東の雲が低く厚く、着陸態勢に入ってからずっと雲の中で外には何も見えず、下界の明かりが見えだしたと思ったら川崎の工業地帯で、あれよあれよという間もないくらいで、羽田に滑り込みました。

 この夏は、7月はじめと9月はじめに鹿児島への小旅行があり、7月の清里一泊があっただけで、去年・一昨年の目まぐるしく動き回った夏に比べると、静かに過ごせたといえましょう。それでも、オリンピック・パラリンピックや、大雨や台風のニュースは後を絶たなかったような印象でした。さあ、秋が動き出します!(画像は、グーグルアースのもの以外、クリックで拡大されます。 スケッチ・写真・文;青山恭之)