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埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
コラムcolumn
夏の旅

2002年8月 

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 夏の旅で描いたスケッチを集めてみた。30分程度でさらと描いたものから、3時間程度かかったものまで。今回は、積極的に色を使う事にこだわった。

 

8/8  対馬、樽ケ浜

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 8月8日午前、樽ケ浜の船着場で船を待ちながらの一枚。対馬、上島と下島の間の浅芽(あそう)湾は、リアス式地形である。昨日、福岡からの飛行機は、北から廻りこむようにしてこの湾の上空から対馬空港に降りた。その深い入り江の奥に位置するこの港は、まるで湖のように波が静かだった。
 
 下は、昨日着いてすぐに訪れた椎根という集落。石屋根の倉が残っていて、観光資源にもなっている。どんどん数が減っていると聞いていたので今のうちに見ておこうと思っていた、今回の旅の目玉のひとつ。着いてみると、石屋根のものはいくつかしかなかったが、屋根材が瓦等になっているものの、建築的には同様の構成をもつ倉が、ずらりと並んでいて驚いた。
石の屋根の荷重を支える椎の木の柱もりっぱなものだったが、面白いと思った事はふたつある。まずその造形が、日本離れしていること。後で行ったお隣の壱岐でさえ、この形式の倉は見かけなかった。やはりここは朝鮮の風をまともに受けている。

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  もうひとつは、母屋のある敷地と離れて、集落の中心の広場(といっても、それほど中心的な場所性をもつものではない)の共有の土地に集まって建ち並んでいる事。ルドフスキーの『建築家なしの建築』にあったイベリア半島の倉庫群を思い出す。ただ、村の共用の共用財産が入っているというのではなく、それぞれが各家専用の持ち物ということだった。多くは3つの倉室に分かれていて、左が味噌・醤油、中に穀類、右が着物類だそうだ。

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8/9  対馬、三根湾

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 8月9日早朝、泊まっていた宿から少し歩き、防波堤に腰をおろして外海の方を眺める。この三根湾も深く切り込んだ入り江で、水面は静かに朝の空を写し、このまま朝鮮海峡につながっているとはイメージしにくい。まさに倭寇の隠れ家にふさわしい。
 
 この日は、この三根湾の入り江のさらに北に大きく切れ込んだ仁田湾に面する、志多留という集落を訪ねた。下調べをしている段階で、数少ない資料から、おもしろそうなにおいがしていたところである。バスの便は悪く、観光資源も、ちょっとした店さえない小さな集落だが、行ってみると案の定、異郷に来ている感覚が強く感動に近いものを覚えた。

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 それは、陸路の行き止まりの辺境でありながら、各住宅の構えがやけに強く、城下町の武家屋敷のような『威』といった感覚を漂わせている事からくるものに違いなかった。集落の中心に倉庫が集中してあるのは、先の椎根と同様なのだが、ほとんどの家が高い石塀とりっぱな門構えを持っている。地図で見ているだけでは、ただの半農半漁の集落にしか見えない村なのに、この雰囲気のルーツには倭寇という史実とつながる何ものかがあるのではないだろうか。

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 上の写真の家では、おじいさんがひとり門のところにすわっておられた。話を聞くと控えめで物静かな声で答えてくれた。タクシーの運転手さんによると、この集落からは学校の校長先生クラスの教育者が多く出ているとのこと。彼も昔の校長先生に違いないと思った。
 この家は、川と橋の辻に位置し、石組みの構えが見事。
 下の写真の家は、門前が川になっている。舟でのアプローチということだろうか?

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  下の写真は、集落の中央広場に並んだ倉庫群。村の人たちが一休みしていたので声をかけてた。なまりのほとんどない、きれいな日本語が返ってきた。

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8/10 対馬、比田勝沖

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  8月10日、水平線から上ったばかりの太陽が、部屋をオレンジに染めているのに気づいて飛び起きた。かろうじて写真を一枚撮るが早いか、太陽はすぐに雲の中に消えていってしまった。その残した光が遥かな日本海上空ににじんでいるのを、スケッチブックの見開きに描いた。対馬の最北端、比田勝の国民宿舎から。この日は昼すぎまで、雨風ともに大荒れで、太陽は朝一瞬だけの顔見世だった。

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 同じ国民宿舎からの漁火。午後7時半、まだ空に明るさが残っている。

 

 8/11  壱岐、若宮島

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 8月11日夕刻、壱岐勝本の宿から、湾を守るような若宮島。天気はよくない。イカ釣りの漁船が等間隔で列をなして港を出ていく。全島山国のようだった対馬から壱岐に来てみると、柔らかに起伏する大地が広々と続き、農地・山林によく人の手が入っていて、風景からすべてが女性的・田園的に感じられた。この絵で、海に出ていく漁船ですら、果樹園に収穫に行くトラクターの列のように見えた。
 
 下は、壱岐風土記の丘という民家園の中心に位置する、旧富岩家住宅。左から、ホンマヤと呼ばれる倉と納屋の機能を持つ建物、オモヤ、インキョと並んでいる。他に牛舎もある、分棟式の農家配置だが、こんなに広々と配置されていたとは想像しがたい。

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8/12  壱岐、勝本港

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 8月12日朝、勝本の港を見下ろす。イカ釣りの船は既に戻ってきており、岸壁にきちんと整列している。家々も湾をぐるりととりまき、家並をつくっている。対馬の漁村はこうではなかった。やはり壱岐には、日本の農村的な秩序感が存在する。離島といっても、北九州の文化圏内と考えていいだろう。

 

8/13  建部神社から、桜島

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  8月13日朝、鹿児島市内の建部神社からの桜島。寒いくらいだった対馬、壱岐から南下してくると、さずがに鹿児島は暑い。噴煙を上げる桜島の後方上空から、強烈な太陽光線がこちらに突き刺さってきて、山も街も逆光の中。

 

8/14 旧鹿児島刑務所正門

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 8月14日,旧鹿児島刑務所の正門。刑務所が移転した跡地が鹿児島アリーナとして整備されたが、この正門だけはその場に残された。ただ、向かいを流れる甲突川の堤防や道路の高さが上がったため、この門のGLが1m程度下がってしまった。周囲のペイブとの間に池を配して高さの差を調整しているが、全体に埋もれてしまった印象はぬぐいきれない。石積みの迫力だけは健在。
 スケッチを終えての帰り道、ふと見たポスターで、このアリーナで今日一日だけの西田橋の展覧会が開催されているのを知ってひき返した。1993年8月6日のいわゆる8・6水害の際甲突川の水の流れを妨げるとして撤去された西田橋を、解体前に拓本にとった(!)市民のグループが、その拓本の合体を今日だけ、アリーナの床に並べるというイペントだった。大きな体育館とはいえ、室内に、都市的なスケールの土木構築物の写しが現れた迫力はすごい。いやそれより、西田橋を現地で保存しようと願って一つ一つの石を写し取った市民の行為に、現代美術から受けるのに似た感銘を受けた。
 その西田橋は、鹿児島の海岸付近に移築されているという。明日のスケッチは決まった。

 

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8/15 西田橋

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 8月15日、昨日の展覧会でここの存在を知り、早速スケッチに訪れた。西田橋が街中にあった頃の印象は覚えてはいるのだが、いざ川面のレベルに降りて向かい合ってみて、美しさに息をのんでしまった。なんと精緻な石積みの造形!それぞれのカーブの関係が乱れないように描くために、デッサンには肩がこるくらい力を要した。
 この石橋記念公園は、西田橋の他、高麗橋・玉江橋も広々と移設復元され、錦江湾越しに桜島も望める気持ちのいい場所である。石橋が現役だった頃、自動車通行のために施されていたアスファルトは剥がされ、質感のしっかりした石のペイブの上を歩くことができる。この絵の橋詰に見える屋根は、かつて城下に入るところにあった門が復元されたものである。橋の下には人工の流れが造られ、子供たちが水浴びに訪れていた。左手奥には、石橋記念館も建てられていて、石橋の構造や歴史等の興味深い展示を見ることもできる。ただ、これだけお金をかけるのであれば、ほんとうに現地で保存活用する方法はなかったのかという思いも湧いてくる。こんな造形が現代の都市空間に存在したとしたら・・・

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8/16 与次郎ケ浜より桜島

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 8月16日、海から直接立ち上がった桜島が描きたくて、与次郎が浜へ。朝5時過ぎに到着して形をとりはじめる。桜島のうしろに太陽の赤みがにじみ始め、まだシリウスの輝きが残っている時間帯。この光を描こう。ちょうど5時半。今の色を覚える。光がどんどん上がってくる。スケッチブックに落ちてくる光の色も変わってくる。でもなんとかさっきの色の印象をFixさせよう。
 桜島の噴煙が赤く染まりだした。だんだんその色がオレンジから黄へと変化して、太陽は水平線より高くなり、6時20分、ちょうど南岳と北岳の中間の鞍部からフラッシュ!
 そういえば昨日15日は、ザビエルが鹿児島に上陸した日でもあった。ザビエルの存在はこの太陽の光のように、当時の人々の心にひろがっていったのかもしれない。

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8/17 ザビエル滞鹿記念碑

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 8月17日、昨日の日の出にザビエルの事を想ったからという事もあり、今朝は街中にあるザビエル滞鹿記念碑を描く。北西側を正面とするこのゲイトは、周りに高い建物もある関係もあって朝の光は届かず、初めはフラットな陰影の中に沈んでいた。それが6時半を過ぎて、当たるはずのない北西面に、赤い日の光が当たりはじめたのである。おかしいなと思って腰を上げ、碑のところまで行ってふりかえってみると、道路を隔てて向かいに建っているザビエル教会の大きなガラス面に、太陽が反射していたのだった。その光を表現したいと思ってスケッチブックに向かった。

 

8/17 フェリー埠頭より桜島

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 8月17日、今日は2枚目。鹿児島港、屋久島・種子島へのジェットホイルが発着する埠頭から桜島を描いた。対馬の北端から屋久島の南端までは495キロ。同じく対馬の北端から韓国まで49.5キロ。本当に韓国のすぐそばまで行っていたのだと思う。
 今回、桜島の絵は3回目だが、今日は初めての順光である。昼を過ぎて太陽が西に回り込んでくるに従い、桜島のごつごつした山塊が立体的に見えてくる。ふっと、赤と白の高速船が現れ、着岸すると多くの人々が降りてきて列を作って画面左のターミナルへと歩いていった。さあ船を描いてみようかと思う間もなく、今度は左からの人々の列が船に吸い込まれていき、白い波をあげて、船は南へと去っていった。お盆開けで、人々の移動が激しい。僕等も明日は鹿児島を離れる。

 

8/18 門司港駅

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 8月18日、門司港駅。関門トンネルは何度も通っているが、この駅は初めて。東京駅を別格とすれば、門司港駅は日本で最も美しい駅のひとつといえるのではないだろうか。正面から入って櫛型にホームが並ぶ、いかにも終着駅らしい形式も、九州の玄関にふさわしい。現在は通過駅ですらなくなってしまたが、今回の九州の旅の最後に、どうしてもこの駅は描いておきたいと思った。周囲もレトロ地区として整備が進んでいるが、時間がなくて、駅のかたちを採るのでせいいっぱいだったのが残念。ここから道一本隔てたところが船着場で、渡し舟が動き出すと数分で本州に着岸してしまった。

 

 ここまでの13枚が、対馬から鹿児島を巡る旅で、ほぼ一日一枚のペースで描いたもの。F2のスケッチブック一冊。

 

8/22  越谷、日光街道

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 8月22日、埼玉県越谷市、日光街道に面して、蔵造りの町屋が残っている一角。川越のもののように重厚ではないが、かつての街道のにぎわいを今に伝えている。この日は、ある旧家の蔵と座敷の見学会があり、建築を意識してからはおそらく初めてこの街を訪れた。思っていた以上に古いたたずまいが残っていたので、見学会の人たちと昼食後に別れてから、さらっとスケッチ。F3大。

(絵・写真・文;青山恭之)