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埼玉の建築スケッチMAP 青山恭之のブログ
コラムcolumn
愛知その1、蒲郡

 2018年4月

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 新年度が始まって一段落したタイミングで、名古屋の親戚を訪ねる二泊の旅が企画され、せっかくそこまで行くのならと、前後に一泊ずつ寄り道を追加して、ついつい通り過ぎてしまう愛知県を旅しました。それを前半と後半の二回に分けて報告します。前半は、蒲郡クラシックホテルに泊まることが目的でした。昭和9年に完成し、鉄道省国際観光局より第一回国際観光ホテルに他3ホテル(横浜・雲仙・大津)とともに指定された名門です。藤原定家の父藤原俊成ゆかりの竹島を望み、多くの文豪たちにも愛されたホテル。冒頭の画像は、蒲郡の名勝「竹島」から見たホテルの全景です。

 

 ひさしぶりのひかり号、それも豊橋停車というレアな列車で豊橋下車。東海道線に乗り換えて蒲郡までの左車窓で、すでに丘の上の御殿のようなホテルが見えていました。駅を降りて北へ進み、伊藤珈琲店という古民家的なカフェで海老フライカレーを食べて名古屋デビュー。その後、大通り沿いの街がRCの三階建て集合住宅のような形式で200メートルほど続いているのに気づきました。蒲郡といえば、繊維産業、特にロープの生産で栄えた「ものつくりの街」という認識がありますが、そういったザッハリッヒカイトなイメージに結びつく計画なのかもしれません。その並びで、こだわりの酒屋さんを発見。「空」という日本酒に出会いました。


 駅南口は、駅前広場に真っ白なヨットのオブジェが立ち、目の前は低層の大型ショッピングセンターで空も広く、新しい街という感じでした。こちらは、蒲郡のもう一つの顔、海沿いの景勝地というサイドです。タクシーに乗り込み、水族館などを横目に丘を登って、目的のホテルに着きました。

 

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 エントランスの階段を上って、吹抜けを見上げた写真です。いわゆる「帝冠様式(昭和初期に流行した、鉄筋コンクリートのボディーに和風の屋根を載せたスタイル)」で、内部はアールデコの装飾に満ちています。天井の漆喰(?)による透かし彫りが見事です。

 

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 クラシカルなエレベーターで3階に上がり、案内されたところがこの写真、「ロイヤルスイート」です。昭和32年に、両陛下が2泊されたと年表にありました。実は、他の部屋で予約をしていたのですが、前日の夜になってここが空いていることがわかり、急遽変更してもらったのです。来てみて、ここが蒲郡で最も素晴らしい空間であることに納得してしまいました。さっそく、部屋のスケッチ開始です。

 

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 27の客室のなかで、ここだけが専用のルーフバルコニーを備えています。そこから、南を見たパノラマです。正面が竹島。穏やかな三河湾が広がり、背後で海と空を区切るのが渥美半島です。何羽ものトビが優雅に舞っていました。

 

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 これは、西側の夕景です。ゆっくり夕方の時間を楽しみたくて、夕食は遅めにお願いしておきました。そして、二階メインダイニング(ロイヤルスイートの真下)でのすばらしい夕食・・・。ここで説明する必要はないでしょう。

 

 

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 次の日の朝、朝食前に、ダイニング脇のテラスでコーヒーをいただける時間帯が用意されていました。そこでの一枚。曇りがちだった昨日とちがって、朝日を浴びた青い海と青い空、色々な緑が鮮やかでした。

 

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 朝食が済んで、退出するときに撮った、ダイニングのパノラマです。夕食は中央付近の席でしたが、朝はこの写真で左奥にある窓際、正面に竹島が見える席で頂きました。

 

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 一階のロビーに、ホテルの設計段階での鳥瞰図がありました。ホテルは「蒲郡遊園地ホテル」という名称で描かれています。中央には、このホテルの前身「常盤館」が、周囲には動物園や娯楽施設が立ち並んで、一大リゾート地の中核ホテルとして計画されたことがわかります。ホテルは帝冠様式というより、大型の木造三階建てのように描かれています。説明書きには、「設計段階では天守閣部分は無く、この絵にも描かれていません」とあります。

 

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 ホテル部分を拡大してみましょう。現在の屋根が、途中で段違いになっているとことはすでにこの絵で描かれているので、設計がある程度進んでいた時期のものであることが想像できます。ただ、「天守閣部分」というような楼閣部分はありません。と、この絵をよく見ると、ホテルの北側に「天守閣」と名前がついたまさに天守閣のように鯱(しゃちほこ)をのせた建物が描かれているのに気づきました。これは、もしかすると、ランドマークとして天守閣を別に建てる構想があったところに、ホテルが建つのならその上に天守閣をのせてしまえば、という発想があったのかもしれません。実施にあたっては、あからさまな天守閣というより、いくつかの破風を附加させた楼閣風の屋根がデザインされました。

 設計者の名前として、久野節(くの みさお)と村瀬国之助(むらせ くにのすけ)の二人が記録されています。久野は大阪岸和田出身の鉄道省技師で、南海難波駅・浅草駅など鉄道関係を中心に多くの建築を手掛けています。村瀬は地元愛知の建築家で、常盤館創業主の瀧信四郎との関係からこのホテルに関わり、昭和21年にこのホテルの改装工事中に病死したそうです。(村瀬国之助については、名古屋市立大学の瀬口哲夫氏による記述が、こちら、にあります)

 ロビーには、ホテルの歴史を展示したコーナーがあり、歴史に関するパンフレットも用意されています。それによれば、戦時中は日本陸軍病院として使われ、戦後は米軍によって接収されます。昭和34年の伊勢湾台風による被害、昭和45年の三河の公害問題などを経て、昭和55年には蒲郡市に売却という道をたどることに。そして昭和62年には蒲郡プリンスホテルとしてよみがえり、平成24年に蒲郡クラシックホテルとなって現在に至っています。常盤館から数えれば100年にわたる歴史を今に伝えているのです。

 

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 一階ロビーから上階への階段脇に、全館の平面図が掲げられていました。その、2・3階部分です。3階の西(左)端がロイヤルスイートです。階段・エレベーターからすぐで、サービス的にも最上の位置にあるのがわかります。また、2階の西にメインダイニングやラウンジなどの階高の高い部屋が配置されているため、3階は西部分の床が高く設計されていて、それが屋根の高さの違いに直接あらわれているのです。このあたりに、昭和のモダニズムというか、実直な設計が読み取れます。ただ、その分、3階でエレベーターから段差なしでアクセスできるのは5室だけという、今日では考えにくい面があるのも事実です。

 上の写真では割愛しましたが、西半分にだけ、一階がロビー、さらにその下に地階があります。すなわち、2階の東の客室は、設置階として計画されているのです。丘の頂上といいながら、敷地の高低差をうまく設計に取り込んで、東からアプローチしてくるときは4階建ての楼閣風に、東の庭園側からは2階建てのおだやかな日本建築に見えるというアイデアが明確です。

 

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 これが、ロイヤルスイート(300号室)の平面図です。2日目の午前も使って絵にして、色は帰って来てからのせました。重たいコンベックスなど持参しておらず、裁縫用の、1.5メートルの布製の巻き尺を使い、まず全体の寸法を測ってみると、1:50でA4ギリギリに収まりそうでした。A4の紙を持っていなかったので、部屋に備えてあった便箋の裏に書いたものです。アバウトな測量ですが、室内部分は77㎡、ルーフバルコニーが38㎡、専有面積合計は115㎡という広さです。

 

 何といっても最大の特徴は、南・西・北の三面に広々と開口部を持っている事。リビングルームの長辺にある3つの開口はテラスタイプで、バルコニーへアクセスできます。バルコニーはL字型で全方位に視野が広がり、上部には日本建築の木造の軒が深くかかっています。南側、開口部の先には、高欄のついた窓台が。北側、バスルームの窓も大きく開かれています。ビングにあるマントルピースの存在も、広がりのある空間を引き締めています。

 

 また、このプランから、この部屋を利用するのが単なる私人二人ではないことが見えてきます。エントランス脇の2つ目のトイレはリビングへの来客用、またはお付きの人用で、リビングが公的な性格を持っていることを意味しています。ベッドルームと奥の水回りのプライベートな性格を高めているといってもいいでしょう。2つ目のトイレの裏の空白部分は、隣の部屋の水回りが食い込んでいるのですが、そこと南の窓の間(冷蔵庫の裏)にわずかなスペースを確保して、小さな水場が設けられていることにも注目です。リビングでお酒でも飲んでいて、ちょっとコップを洗いたいといった時、誰かが席を立って(あるいはずっと立っている人がいて)、わざわざベッドルームを通って洗面室に行かなくても済むのです。これは公の空間に連続しながら、サービス側の機能をさりげなく裏に隠している。こんな細やかな設計には、そうめったにお目にかかれません。

 

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 15時のチェックインから12時のチェックアウトまで、ゆったりした時間を過ごすことができました。ホテルの方々の、サービスの距離感も絶妙で、一流の伝統が引き継がれていました。昼は、敷地内の日本建築「竹島」で松花堂弁当をいただき、ホテルを去る時に上の写真を撮りました。3階の左端の窓2つ分、ルーフバルコニーが見えているのが、ロイヤルスイートです。たった1日でしたが、いい建築と過ごしたという充実感を味わいました。

 

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 丘の下までホテルの車で送っていただき、村瀬国之助が設計したとされる橋で竹島に渡り、振り返って描いたのがこのスケッチです。公害問題などなかったように、海の中には小魚の群れが泳ぎ、多くの鳥たちの姿もありました。ユリカモメ、スズガモ、ホオジロガモ、カンムリカイツブリ・・・。駅まではのんびり戻りました。途中、景勝地のにおいを残す屋敷と、海辺の漁師町的な界隈の混在を感じました。


 その後、東海道本線で大府まで移動し、宿泊先のホテルで親戚と合流しました。(スケッチ・文;青山恭之)